各国版比較、クリーム音源の謎
前編の続きです.今回から、すろーはんどM谷さんが参加されています.
各国版の比較から、レイラについての驚愕の事実が明らかに!クリーム音源>br> の検証については、今後も継続する必要がありそうですね(笑)





すろーはんど M谷: 
ブルー爺さん、アーカイヴさん、
ここの所のご両人によるCREAM Live音源(オフィシャル&アンオフィシャル)談義、興味深く読ませてもらっていました。
私自身、今まで非常に混乱して良く整理がつかなかった、CREAMの「1968.3〜1968.11」時期の公演概要が、
ようやくスッキリと見えてきた感じです。
お二人の検証スタンスに、ひたすら感謝と敬意を表します。
お二人の奥深い見識には及びも付きませんが、恐縮ながらここでチョットだけ私見を述べさせて下さい。

「ラフ・ミックスが現存している可能性がある・・・」については、
私も、現存の可能性が非常に高いと推測していました。
何故なら、MARC ROBERTY氏が彼の著書『ERIC CLAPTON/THE COMPLETE RECORDING SESSIONS』(私もUK版を所有)
の中で、
「・・・Another interesting point is that the long-rumoured shortened version of 
"Crossroads"is in fact the correct lenght.There is nothing to indicate an edit and, 
after hearing other versions recorded in concert during the tour, 
they all run for approximately the same length of time.」と記述しているからです。

彼が著書で書いているからと言って、それがそのまま真実であると取ってはいけないのは、
これまでに彼の上記の著書の中で数箇所「マスターテープ・ケースのクレジットからの転記ミス 」や
「チョットした思い違い・・・」等々が、指摘検証されてる事からも言えます。
(決して、膨大な時間と労力・忍耐力等々よって成し遂げられた、氏の業績をけなすつもりは全く有りませんので、
誤解の無い様に。)

しかし、今回ここで話題となっているCREAMの「1968.3〜1968.11/US TOUR」時期にあたる項目箇所での
公式ライヴ・レコーディング関係の検証記述については、MARC ROBERTY氏本人が
「"Crossroads"について・・・直接該当時期の各公演テープを聞き比べた。」との表現をしている事から、
他のケアレス・ミスが発覚している箇所と同じ様な疑いを持つ事は出来にくいと考えました。
Atlanticが録音したCREAMの各種ラフ・ミックス・テープは、ニュージャージー州のポリグラム社テープ保管室に
あったのだと(多分、現在も・・・)思います。

しかし大分以前から疑問に思っていた事が、今回のご両人の検証過程を読ませていただいている間に、
ムクムクと頭を出してきてしまいました。
チョット話題が脱線するのかもしれませんが、それはアーティストのレーベル契約及び配給契約の事です。

昨今はそんな事は無い様ですが、'60/中〜'70/初に掛けては非常に複雑というか理解に苦しむ事が結構見受けられました。
(私の当業界に対する、不勉強からかも知れませんが・・・)
ROCK界のアーティストが自主レーベルを設立し、自身のコントロール下でレコーディングに取り組み始めた
'70初〜'70中もしかりですが。

ERICの場合で言えば(と言っても、彼の事だけで頭の中はいっぱいなのですが・・・。)、
@CREAMは結成後間もなく、Robert Stigwoodとマネージメント&レコーディング契約を結んだ。

AUKにおいては、2th Albumまでは,Reaction(Robert Stigwoodの関連レーベル)よりリリース。
 後に、Polydorに移行リリース。3th以後、'72までPolydorにてリリース。
 USにおいては、1th Album〜'72までAtlantic/Atcoにてリリース。

B録音に関して言えば、ブルー爺さんのご指摘の通り、
 CREAMの1th『FRESH CREAM』&『GOODBYE』スタジオ録音パートがUK。
 CREAMの『DISRAELI GEARS』〜Dominos時代は、USにて録音。

*一体彼ら(E.C.)は、どちらの国のレーベルを主体として契約していたのか?

*Robert Stigwoodとレコーディング契約をしただけであって、上記両国のレーベルは
 単に各国配給先のみのスタンスだったのか?

*しかし、そうだとすると'67『DISRAELI GEARS』USでの録音時における、
Atlantic Records社長 Abmet Ertegunのしゃしゃり出方は何なのか?

*USで録音されたマルチトラック・テープは、本当にAtlanticが以後も管理していたのか?

*USで録音終了後、UK:Polydorにマルチトラック・テープが送られたとは考えられないのか?(
UK:Polydorとだけ、レコーディング契約をしていた場合でしょうが・・・)

*'70にUS録音され同年リリースされた『Solo Album』の有名なDelaney絡みの経緯では、
E.C.は「Atlanticにテープを送った・・・。」と回顧しているが、だとするとどの様な契約の流CREAMれなのか?
『Layla』もそんな工程だった様な・・・。

*いったいどちらの国の盤に、オリジナル・マスターが使用されているのか?

*どちらの国の盤も、同一ジェネレーション・マスターコピーだったのか?

そんなこんな・あれこれと考えていたら、UK&US各オリジナル盤(もちろんLPですが。)を聞き比べて検証
(私の悪い癖ですぅ♪)したくなってしまい、昨日からCREAM〜DEREK&THE DOMINOSのUK/US原盤 
大聞き比べ大会が我家で始まってしまいました。(笑)

ん・ん〜ん♪
CREAMの『FRESH CREAM』では、UK盤に軍配!(但し以下、好みの差って事も大有り?)
    『DISRAELI GEARS』では、両者引き分け!
    『WHEELS OF FIRE』は、US盤が部屋の中から未だ見つからず・・・。
    『GOODBYE』は、UKに拍手?
    『LIVE CREAM 1&2』では、US盤に音の広がりを感じ、UK盤に低音がブーストされた
             様なジャックのベース音を感じました。
    『Layla』は、圧倒的にUK盤の勝ち!(好み?)ブラウニーの音色も最高だし、
        ジムのシンバルの音も物凄い!!
        でもUS盤も、独特の粘りのある音色で捨てがたい♪

いや〜ぁ、英国ロックの奥深い森の奥まで入り込んでしまいましたがな〜ぁ。

結局何をやってんだか、訳がわからなくなってしまいました。(爆)

ブルー爺さん、アーカイヴさん、
この陥ってしまった英国ロックの迷宮の森から、私を救い出して下さいなぁ♪


ブルー爺:
すろーはんど M谷さん、こんにちは。

「一体彼ら(E.C.)は、どちらの国のレーベルを主体として契約していたのか?」については
「主体」という言葉にどういう含みを持たせているのかよく分かりませんが、
レコーディング・アーティストとしての契約を結んでいたのはロバート・スティグウッド、
つまり英国側だと思います。ただし、リアクション・レーベル時代も、配給は親会社のポリドールでした。
アメリカでの使用レーベルがアトコ、配給元が親会社のアトランティックというのと似ています。

「Robert Stigwoodとレコーディング契約をしただけであって、上記両国のレーベルは単に
各国配給先のみのスタンスだったのか?」

おっしゃりたいことは何となく分かりますが、これに対して正確なニュアンスでお答えできる力は私にはありません。
英リアクション/ポリドール、米アトコ/アトランティックについて言えば、両者とも、
単に配給先であった日本はじめその他の国のレコード会社と比較して、
音楽性も含めたバンドのあり方への影響の行使力において、はるかに上だったと言えるでしょう。

「しかし、そうだとすると'67『DISRAELI GEARS』USでの録音時における、
Atlantic Records社長 Abmet Ertegunのしゃしゃり出方は何なのか?」

ココたいへん重要。アメリカ進出後、言いかえれば『DISRAELI GEARS』レコーディング以降のクリームは、
メンバー3人に加えて、アトランティック社長アーメット・アーティガン、プロデューサー、
フェリックス・パパラルディ、エンジニア、トム・ダウドのアメリカ人3人の関わりが、
サウンド確立に抜き差しならない役割を果たしたこと、どんなに強調してもしすぎることはありません。
JOHN PLATT著『DISRAERI GEARS』(Shirmer Books/'98年刊)は、アルバムのレコーディング一部始終を
資料と綿密な調査に基づいて記録した力作ですが、ふんだんに掲載されたスタジオ写真には、
アメリカ側の立役者3人もそこかしこに写っていています。「サンシャイン」等の名曲を
「サイケガラクタ("psychedelic hogwash")」と呼び、ECを看板スターにしたブルース・ロック・バンド
としてクリームを売り出そうと目論むアーティガン
(黒人音楽愛好家としての趣味指向性を押し出したかったものと見えます)に対して、
ブルースをベースにしてはいるが、そこに留まらない新しい音楽のクリエイトを目指す
クリーム/パパラルディ・チームとの、火花散らす駆引きがそこから伝わってきます。

「USで録音されたマルチトラック・テープは、本当にAtlanticが以後も管理していたのか?」
資料を検討した結果、そうに違いないと私は判断しました。

「USで録音終了後、UK:Polydorにマルチトラック・テープが送られたとは考えられないのか?
(UK:Polydorとだけ、レコーディング契約をしていた場合でしょうが・・・)」

おそらくそれはなかったであろう、というのが私の考えです。
今回、各種資料を(部分的にでも)再読した結果、必ずしも権利所有者の元にマルチ・トラックや
マスターテープが保管されているわけではない、という、そうじゃないかと前から漠然と思っていたこと
が確認できました。クリームはおろか、もっと後の、『461』に始まるRSO時代のソロ・アルバムの
マスターテープ(マルチトラックをも含むものと思われます)でさえ、アトランティックの倉庫
(火事で焼失したのとは明らかに違う場所)に保管されており、86年頃に『クロスローズ』
ボックスセットの製作に着手した際、それらを引っぱり出した、とビル・レヴィンソンは前出の
インタビューで述べています。
「ポリグラムがRSOを傘下に納め、RSOのマスターはアトランティックに所在していたんだが、
(ECのバックカタログが最初にCD化された際)誰もアトランティック・レコードのテープには手を付けなかったんだな」

「'70にUS録音され同年リリースされた『Solo Album』の有名なDelaney絡みの経緯では、
E.C.は「Atlanticにテープを送った・・・。」と回顧しているが、だとするとどの様な契約の流れなのか?
『Layla』もそんな工程だった様な・・・。」

『レイラ』に関しては、信じられないことに、『クロスローズ』ボックスをニューヨークの
スターリング・サウンド・スタジオでマスタリングしている最中、当のスタジオの倉庫から
マルチトラック・テープが偶然発掘されたことをレヴィンソンが明らかにしています。
「埃を被った古い箱を引き出して蓋を開けてみると、なんとそれは『レイラ』のオリジナル・マルチトラックで、
そのスタジオに所有権があるはずもないんだ。なぜそこにあるのか、誰ひとり理解できなかったよ」
この事実こそ、米録音のマルチトラック/マスターテープがUK:Polydorに送られなかったことを、
何よりも雄弁に物語っています。

「いったいどちらの国の盤に、オリジナル・マスターが使用されているのか?」

アルバムによっては違うかもしれませんが、ことアメリカで最終的にミックスまでされた作品について言えば、
以上のような経過から、私は米盤だと思います。一歩譲って、コピーだとしても、米・英ともにマスターからの
1stジェネレーション・コピーではないでしょうか。

「どちらの国の盤も、同一ジェネレーション・マスターコピーだったのか?」

米盤に使用されたのがオリジナル・マスターなのか1stジェネレーション・コピーなのかは、
私たちに知ることはできません。一方で、英盤にオリジナル・マスターが使われた可能性は低いと私は見ています。

ここで必然的に次のような結論が導きだされます。

アーティストが大本のレコーディング契約を行っている国(ECの場合は当然イギリス)からリリースされている
レコードを「原盤」と呼ぶとすれば、「原盤」に必ずしもマスターテープ
(すなわちジェネの低いテープ)が使用されているとはかぎらない。
他の例を挙げるなら、ツェッペリンが契約しているのはアトランティックだから米盤が「原盤」だが、
マスターテープ/ジェネの低いテープは英盤に使われている確率が高い
(ただし、1st〜3rdあたりは米盤でもマスターorロウ・ジェネ・テープが使われているフシあり)。

「昨日からCREAM〜DEREK&THE DOMINOSのUK/US原盤 大聞き比べ大会が我家で始まってしまいました。(笑)」

コンプリーティストではないので、各国盤の聴き比べといったことは、必要なとき以外はしていないのですが、
ちょっとだけ。

『レイラ』については、私は究極のブツ、米アトコの白レーベル・サンプル盤を所有しています。
93年ごろ、価値を知らない中古レコード店で新品同様のものをなんと\2,000円でゲット!
(通常4〜5万はするはず)文句なしにスウィートなサウンドで、UK盤を買う気が失せたまま現在に至っています。
自慢話は置いといて(笑)、コレクターが珍重する『レイラ』は、米盤のほうです。
マスター・テープが使用されているのもさることながら、ドミノズというバンドが、
ECのアメリカへの憧れ、夢を具現化させた<イギリス人をリーダーに戴くアメリカン・ロック・バンド
であるという一事が、マニアの気持ちをしてそのような心情に向かわせるのだと思います。
現行日本盤CDの解説で大鷹俊一氏が「アメリカのAtoco原盤が欲しくて探した日のことがつい先日のよう」
と回想していることからも窺われます。
いつかロンドンの中古レコード店で、目玉商品として『クリムゾン・キングの宮殿』(ピンク・アイランド・レーベル)
などとともに、『レイラ』アトコ盤が目につくところにディスプレイされていたことを思いだします。


アーカイブ:
すろーはんどM谷さん,どもです。いや〜僕各国盤とかのことになると全くわかりません。
ブルー爺さんにお任せします。

いや、やっとレコーディング・セッション出してきました。
でこれ見てかなり「ぎょっ!?」とおもったのが

そもそもこの2冊の本における同日のセットリストの曲目ならびに曲順の相違。

かなり違いますね。とくに3月9,10日はことごとく食い違いを見せております。
ただ、このロバーティさんは確実にこのセットリストを見てるか聞いてるのどちらかでしょう。
彼は使用ギターなどの箇所に推測なら推測と書いておられるし,彼ほど熱心な人が
「Stepping Out」を「Hideaway」とおそらくあえて10日だけアルバムの記載に順じているのは

そのテイクがこれだったからではないのでしょうか。

さらにブルー爺さんが言ってられたスリーピィの最後とステッピン…の最初が同じというのが,
TWDで聞き比べてみましたが,よく意味がわかりませんでした。(オミットされてるの?)

このレコーディングセッションという本,以前読んだときは
「なんか薄いな〜ブートで出てる日載ってへんし…」とか勘違いなことを思ったことが
あったような覚えがあるのですが,これが正式に録音,又は保管されているものに絞った
と考えればようやく納得が行きます。

ただこれを全て覆すのは,オーストラリアサイト,ウェルチ組が,
9日のオーディエンステープを聞いたと結果という事になれば逆に
ロバーティさんの方が一気に信憑性を失いますが。

すろーはんどM谷さん,ブルー爺さん,結論はゆっくり行きましょうか(笑)。

この本を持ってない人達も一緒に考えませんか?参考例です。
3月9日ファーストショウ>ロバーティ
ユリシーズ
NSU
スリーピイタイム
クロスロード
スィートワイン
トッド

ウェルチ,オーストラリア>同日ファースト
ユリシーズ
NSU
トップオブワールド
クロスロード
スィートワイン

ロバーティ>同日セカンド
スプーンフル
サンシャイン
トップオブワールド
NSU
アイムソーグラッド
トッド

ウェルチ,オーストラリア>同日セカンド
サンシャイン
スプーンフル
スリ-ピータイム
ステッピンアウト
トレインタイム
トッド
アイムソーグラッド

ライヴ録音の記録を信用するならば、10/19(LA2日目)は、
ブートに納められたとおり「Crossroads」「Sunshine」の順番で演奏されていますが、
10/18(LA初日)と10/20(サンディエゴ)では、これが入れ換わっています。
これが本当だとすれば、やはりクレジットが正しいという可能性も捨てきれません。
だいたい、どちらにしろオフィシャル未発表音源には違いないのに、サンディエゴをあえて
LAと偽ってリリースするメリットがどこにあるでしょうか。あるとしたら、
単純なクレジット・ミスぐらいしか思いつきません。


ブルー爺:
ふ〜っ。ええかげん疲れてきたので、この話題そろそろお開きにしようと思っていたのですが、
そうは問屋が卸してくれないみたいですね(笑)。
アーカイヴさんのおっしゃるとおり、結論はゆっくり行きましょう(笑)。

まずは枝葉末節的なことから。
<TWTD>サイトを部分的に読みなおしていたところ、
『TWTD』ボックス・セット(あ〜ややこし)に拾遺された「いやな奴」(68/3/8、ウィンターランドからの抜粋。1分22秒)
と「NSU」(68/3/9、ウィンターランド)は、ラフ・ミックス音源ではなく、
『ホイールズ・オヴ・ファイア』収録用候補にパパラルディが仕上げた一応のミックス完了マスターだそうです。
「アフター・ミッドナイト'88」CDシングル収録の「サンシャイン」(68/3/7、フィルモア)については、
JOHN PLATT著『DISRAELI GEARS』がラフ・ミックス音源であることを示唆している一方、
<TWTD>サイトにはとくに記述は見られませんが、これもあるいは『WOF』候補用ミックス済みトラック
だったのかもしれませんね。

「この2冊の本における同日のセットリストの曲目ならびに曲順の相違。
かなり違いますね。とくに3月9,10日はことごとく食い違いを見せております。」

この件については、なぜこれほどまでに両者が違うのか、私も首を捻るばかりです。
ただし、ごく素直に考えれば、ポリグラムに保管されたテープにアクセスしているのだから、
ロバーティを信用してよさそうなものですが、氏の記述に必ずしも全幅の信頼を置けないのは、
かの『ジャスト・ワン・ナイト』収録日の誤りが示すとおり、明らかなミスが散見されるからです。
68年3月の公演について、ひとつ例を挙げると、「いやな奴」を演奏しているのは2ndセットのみだと思います。
フィルモア、ウィンターランドは、客席の入替えなしで、前座を含めた2セットを観れる興業形態になっていました。
クリームの場合、両セットで選曲をすべて変えるのが普通でした
(事実、<TWTD>=ウェルチのリストではそうなっています)。

どうしてこのようなことが起こるのか?

考えられる理由は次の三つです。

(1)アトランティック・スタジオのテープ・ログの記載ミス
(2)テープそのものへの記載ミス(収納箱もしくはリールもしくはその両方)
(3)上記(1)(2)から原稿を起こす際の転記ミス

どれも少なからぬ確率で起こりうると思います。
が、それを考慮に入れても、ロバーティと<TWTD>=ウェルチ組の食い違いはあまりにも大きいと言わねばなりません。
<TWTD>が、日によっては客席録音のライヴ・テープを参照しているらしいことはサイト内の記述からも伺えますが、
それにしたって4日間8セットのすべてを入手しているわけではなさそうです
(ただし、全公演ではないにせよ、どうやら未放出のテープを抱えている人間とコンタクトがあるらしき気配はあります)。
もちろん、よくご存じのとおり、トレーダー間で流通しているテープにも転記ミス、そして意図的なデータ改竄(!)
は付きものです。

私に言えるのはここまでですが、経験的に、私は何かとツメの甘いロバーティよりも、
<TWTD>チームのマニア的こだわりに裏打ちされた調査能力のほうを信頼しています。


「彼は使用ギターなどの箇所に推測なら推測と書いておられるし,彼ほど熱心な人が「Stepping Out」を「Hideway」と
おそらくあえて10日だけアルバムの記載に順じているのはそのテイクがこれだったからではないのでしょうか。」

これは私の憶測ですが、ポリグラムに保管された膨大な量のテープを、その1本1本すべてについて
ロバーティが実際にプレイバックして内容を確認した、とはどうしても思えません。
それには大変な手間ひまがかかること(彼はイギリスからわざわざ調査に渡米しているのですよ)を思えば、
部分的に耳通しをして、実際の作業の大半はテープやログからの転記に費やされたのではないか、と想像します。

「さらにブルー爺さんが言ってられたスリーピィの最後とステッピン…の最初が同じというのが,
TWDで聞き比べてみましたが,よく意味がわかりませんでした。(オミットされてるの?)」

「Sleepy〜」が終わったときの客席からの拍手と歓声、ジャックの"Thank you"の発し方を、
「Stepping Out」の前のそれと照合して、2曲が続けて演奏されている、
すなわち同一日だと判断したのだと思います。ただし、両者ではミックスが大幅に異なり、
ピッチも微妙に違うようなので、素人耳ではこの部分が同一であると判断するのは至難のわざです。
それをさも当然のように言ってのけるのがあのサイトの真骨頂なのです。
<TWTD>チームが演奏器材・レコーディング・ミックス等に関してプロ顔負けの知識を所有していることは、
あのサイトを読んでいくうちにイヤというほど分かります。